−水戸大神楽の正しい歴史を後世に伝えるために−

幕間(まくあい) −消息−

 
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実家の義姉様へ

桜の花の美しい季節になりました。

その後、義姉さんにはお元気でしょうか。 私たちも随分と年齢を重ねましたね、お互いに。

私も義姉さんも今、長男夫婦と住んでいますが、実の子と一緒に日々を過せることは、幸せなことなのでしょう。

去年せっかく来宅いただきながらも、何もして上げられず申し訳なく思います。

世の中は年ごとに暮らしにくくなるような気がしてなりません。

私には今、亡き主人の恩給と私自身の年金が入ります。

一昨年の入院までは私自身が出し入れしていましたが、入院後は長男に頼んで必要額を出し入れしてもらうようにしました。退院してからのこの一年余りも全額を私が手にして私自身が差配し自分のためだけに使っています。去年の暮に実印と印鑑登録証の行方が分からなくなりました。思い起こせば入院のときに病院まで通帳と一緒に手元においたことまでは記憶していますが、それ以後不明なのです。年齢はとりたくないものと笑っていることもできず、今年の正月に初めて通帳を長男に預かってもらいました。実印も早くそうしておけば良かったものをと悔やんでいます。老人一人が一ヶ月過せる額にも満たないのですが、私はできるだけ世話をかけずに自分の人生を最後まで自分で差配して生きたいと思います。

どこの家庭にもあることでしょうが、義姉さんのところはどうしているのですか。スイマセン、いくら姉妹でもそこまでは関わりのないことですネ。

主人は知ってのとおり、最後まで生への執着心が人一倍強い頑固な人でしたので私も長男も随分と難儀しました。代を譲ったあとも長男は過分に配慮してくれました。それでも主人は不満なようでしたが、それも全て親子の間のことであり人様に迷惑をかけたり、後ろ指をさされることなど何一つなかったことを長男の名誉のためにも私が保証します。どうぞ今までと同じく直に会って私たちが話したことだけ信じ合いましょう。お互いにそれが一番ですよ。

主人が世をはっていた時代は景気の良い時でしたが、長男が代を継いだのはバブル景気がなくなり世の中がどんどん不景気へとおちこんで行く頃でした。世の中が年々大変になっていく中で、やはり血は争えぬのか、どこか実家の父に気性が似た長男が不憫に思えるのですが、何もしてやれず、逆に私の生活の足らずまいを何も云わずにやってくれています。

今居る部屋も私が「死に到るまでここで暮らしたい」からと主人に長男あての遺言まで書いてもらい、頑固に住んでいます。簡易のトイレも長男が代えたい、と云うのを「長女が買ったものだから」と、これも頑固に使い続けています。ただ申し訳ないのは、それを毎日処理してくれる長男のことです。実の母のことだからと嫁にもやらせず、せっせと世話してくれる姿に感謝と幸せを感じる日々です。体重も増えて入院前と同じくらいになってしまいましたよ。ですから、どうぞご休心下さい。

長々の近況報告で申し訳ありませんでした。義姉さん、これからも身体を大切にしましょう、お互いに。そしてあの苦しかった「満州」の思い出も、今は懐かしく話し合いましょう。

お目文字を楽しみにしております。                         かしこ

平成20年4月16日

急の章  われらがその未来、明るかりきへと続く...