宗家(家元も同義)は徳川治政時代常陸国に起顕し、水戸藩御用神楽の格式を拝命した由緒を今日に伝えています。水戸城下・台町の「神楽屋敷」(元祖御用神楽家元・栗林主計<本名 金之衛門>西ノ宮ノ社家当主)を発祥とし、宝暦二年(1752年)水戸御免の御祭礼に「神楽獅子」供奉の古記録が初見されます。やがてその道統は「旧水戸藩徳川家御用足黒神楽」(足黒は村名、初代宗家・宮内丹後守<本名 求馬>)となり明治ご一新後も幾星霜を経て柳貴家本家(正楽家)によって継承され今日に至っています。
天明五年(1785年)の水戸藩「御用留」や「水府地理温故録」「新編常陸国誌」などの古文書には水戸徳川家御用の「神楽司(つかさ)」として例年武家屋敷や町屋敷をはじめ御領内の巡回や水戸の祭りに奉納神楽を執行するならわしが記されています。烈公(水戸九代藩主・徳川斉昭公)より御拝領の「獅子御頭」は今も厳修に宗家に奉斎されており、一門の心の依りどころとなっています。旧藩時代に御頒布(おわかち)した御神札(おふだ)は「エビスノ神像」及び「中ニ鳥居ヲ書キ両方ニ神馬ヲ率ヒタルサマナリ」(新編常陸国誌)と伝えられ、往時の御神版木も正楽家奥深くご神体として伝存しております。
天下の副将軍・黄門様のふるさと、近世水戸学発祥の地、維新の魁(さきがけ)として名高い歴史と文化の古都に水戸大神楽宗家は、三百年の悠久の時をひたすら神義を
尊び武家の式楽としての芸統・芸格を伝承してまいりました。
高度な物質文明が開花した反面、心の時代と云われる現代(いま)。天地の神気漲(みなぎ)る水戸大神楽は民族の魂魄、常陸の息吹き、水戸の精神を顕現しつつ、あまねく人々の心を潤しその清祥を祈るべくひとすじ斯道に精進しております。
|