−当代のあゆみ−

<月刊ぷらざ茨城・「愛郷清話」より>  

地元の生活情報誌「ぷらざ」県央版Vol.76(平成18年1月号)の「地元再発見
・愛郷清話(第76話)」にて「水府神楽記念碑」が取り上げられております。
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  歴史と文化の古都にふさわしい民俗芸能  

ぷらざ 掲載イメージ クリックで拡大表示します新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

常磐神社の境内に「水府神楽記念碑」(碑高172cm・幅74cm・厚さ17cm)が、りっばな二段の碑座(高さ25cm・1O5cm)の上に建っています。碑首には水戸徳川家の紋章、伝統・ 水戸藩御免御祭礼御用・茨城県知事岩上二郎謹書の文字もあります。昭和38年新春の建です。

碑前の右側には、二つの解説を書いた掲示板が建っています。

一つは、水戸市指定(昭和45年)重要無形文化財・茨城県指定(平成三年)指定無形民俗文化財「水府神楽の由来」と題して書いてあります。(一部略して書きます)

水府神楽は水戸藩御免、水戸徳川家御用の高い格式をもち、例年水戸の御祭礼には奉納神楽を執行するのがならわしでありました。

水戸城下・台町に「神楽屋敷」を給わり、宝暦の古記録や天明の古文書にも記された由緒正しい大神楽です。

厄除けの獅子舞や招福の曲芸など、歴史と文化の古都にふさわしい民俗芸能として、その連綿たる深い伝統を維持し、現在に至っでおります。

文中の「神楽屋敷」に関しては元台町の閲鉄バス停「薬王院前の近くに「神楽屋敷跡」(水戸藩御用・水戸大神楽発祥之地)の碑(市教育委員会建)があります。その説明文を読んでみましょう。

水戸大神楽はこの地より発祥した。(一部略)天明五年(一七八五)の春、台町の栗林氏から足黒村(現茨城町)の宮内氏に代議りがあり、以後、足黒神楽と称し受け継がれ、明治以後、その道統は柳貴家正楽家に継承され今日に至っている。

また、『茨城の文化財』(30集)には、次のような解説文があります。
○大神楽は、獅子の霊力によって悪魔を払い、火伏せや延命息災を祈念する獅子神楽である。
○大神楽は獅子舞と曲芸を演ずる神楽である。獅子舞は獅子の頭と尾に一人ずつ入って踊る二人立ちの一匹獅子で、水戸大神楽宗家の柳貴家正楽は、この獅子舞と曲芸とをよく伝承し、伊勢大神楽、江戸太神楽と並ぶ大神楽として芸術的価値が高い。

もう一つの掲示板には大神楽「神歌」(かみうた・しんか=神の徳をたたえる歌)が書かれています。

○そもそも神楽の始まりは.天神七代 地神が五代のその折にあまりこの世が乱れなば天照大神は諸人の心を直さんと 天の岩戸に隠れけり 天の岩戸に入りければ 暗闇世界に相成りて 悪魔外道が魔をなして 五穀も実らぬ世と成れり、これではならじと六十余州に鎮座ある 八百万の神々が高天原に集まりて いろいろ神議のその結果岩戸の前にて神楽を行うこととなりにけり(中略)○外の拍子の面白さ 何事ならんと岩戸を細目に開けくれば強力無双の手力男の御命 岩戸に双手をかけられて エンヤエンヤの掛声で なんなく岩戸を押し開けば この世はもとの太平楽世とあらたまる

獅子が霊力をもって「しし・おお・おしおし」などと吼えて、悪魔に神罰を与えて、追い払ってくださる民俗芸能です。